恐怖について
9月、暗澹たる思いでNYで始まったテロのニュースを見聞きして、なにか読む本はないかと考え、哲学者アランを思い出した。『幸福論』のなかには、まるで用意されたように「惨劇」という1912年に書かれた文があった。
ひどい惨事に遭い助けられた人は恐ろしい思い出を持っている。思い出のなかで惨劇は繰り返し、事態を理解させ、反省させる。けれど、惨劇の最中にはそれを味わうことは出来ず、瞬間の行動と知覚に自らをゆだねているため、恐怖も苦痛もない。...
死んでしまった人は、どう感じたにしても、その苦しみは死とともに終ってしまっている。けれど、生き残っている人の想像力の中では、死者は死ぬことをやめない。
というのが、このテキストのおおよその内容だ。
人の「知覚」を考えるアランのテキストは、惨劇で亡くなった人たちについて考える点でも、自分自身の恐怖心について考える点でも納得のいく内容で、僅かだが救われた気持ちがした。
「FOODING」の話題
「FOOD」+「FEELING」⇒「FOODING」という造語。
●パリでは近年、味とともに食事の雰囲気をデザインするレストランが注目されてきた。雰囲気のいいレストランに人気が集まり、ナイトクラブからも客がシフトしてきたため、このような現象を食ジャーナリストのアレクサンドル・カマスが「フィーリングを持って食事する」という意味合いから「フーディング」と名づけた。
●これまでのレストラン評価では、ミシュランのガイドのように、味の採点に重点が置かれ、他の情報は少なかったが、「フーディング」では、味、内装、サービス等の環境すべてが食事を作るとして、レストラン評価の基準を広げている。
●2000年12月にパリで行なわれた「フーディング・ウイーク」というイベントでは、各賞の授賞式が行なわれ、最優秀レストラン賞に「Twins」、最優秀インテリア賞に、パリの「Georges」とロンドンの「Les Trois Garcons」、栄誉賞には、アラン・デュカスやテレンス・コンラン等が選ばれている。
お勧めのサイト
アラン・デュカス
http://www.alain-ducasse.com/
仏のシェフ<アラン・デュカス>の公式サイトでは、パリの「アラン・デュカス」、モナコの「ルイ・キャーンズ」のほか、アラン・デュカスがプロデュースするレストランやプロバンスのホテルなどを紹介している。
アラン・デュカスは、フォアグラ用のあひる畜産農家に生まれ、自家菜園の野菜や近くの森で採れる食材を使った祖母の家庭料理の味で育った経験を持つシェフ。その料理哲学について雑誌 dancyu 1998年12月号のインタビューのなかで、「食べる人が幸せな味の記憶を呼び起こす決め手となるのが食材本来の味だ」「このような食材を生かす料理を作ることが自らの使命だ」と語っている。また、「料理人はアーティスト(芸術家)ではなく、アルチザン(職人)。料理のおいしいさの60パーセントは食材で決まり、30パーセントは食材の調理の仕方で決まる。料理人の創造性や解釈が影響するのは10パーセントにすぎない」とも語っている。
このような思想の表れとして、特に「素材重視」をコンセプトにした新しいレストラン「59ポワンカレ」の店内には、食材提供者(農夫や漁師)の大きな力強いポートレートが飾られ、これまでにない斬新なインテリア効果を発揮している。
日本でも、スーパーの野菜売場などでは素材提供者の名前や写真入りのPOPを目にすることが多い。こういった誰が作った食材なのか、をはっきりと示して見せる背景には、食材の安全性への関心が強まっていることがあり、9月、日本での狂牛病発生にまつわる問題でも明らかになったように、食材がどう生産され、どう流通してきたかを辿りにくい、という従来の食材提供の仕方に対する不安感が一般に大きくなってきたことが明確だ。
食べ物に限らず、身の回りのほとんどの物が工業生産品となってしまった現代では、物が何からどのように作られたかを意識もせずに消費していることが多い。こういった消費の仕方にも大きな問題があるのではないだろうか? 絵本作家ターシャ・チューダーは、私たちに単なる消費ではない「手で作る生活」を見せてくれている。
Tasha Tudor の暮らし方

ターシャ・チューダーは、自然に恵まれたアメリカのバーモント州で素朴な暮らし方をしながら、家族や花や動物たちを水彩画で描いている著名な絵本作家で、最近ではその暮らし方にも大きな興味を持たれている人だ。
ターシャの住んでいる家「コーギコテージ」は、18世紀の農家をモデルに、息子セスがひとりで建てたもので、家の中には家族の思い出の品や、ターシャが集めたアンティークの道具や家具、ターシャの手作り品がいっぱいに詰まっている。詰まっているだけでなく、それらはいつも使われている。
飼っている山羊の乳からバターやチーズを作る。毛を刈り取り、糸を紡ぎ、染め、機(はた)を織り、服を縫う。木苺からジャム、蜂のワックスから蝋燭も作る...さまざまなものを手作りし、そのいずれもがすばらしい出来映えであることが、注目されている所以だ。
けれど、ターシャは工芸「crafts」という言葉を嫌っているそうで、自らは「the home arts」と言ったりするようだ。「crafts」という言葉を嫌っている理由は定かではないが、籠編みや機織り、キルトや刺繍...ぬいぐるみや、マリオネットを作り、小さな子供たちに人形芝居を見せて楽しいときを過ごす、ターシャはこういった活動を人生の全てだと感じているのかもしれない。
時間をいっときも粗末にせず、例えば料理用薪ストーブに夕食用の鍋をかけてしまったら、そばにある織機に向うといった時間の過ごし方をし、また、利用できる材料は何でも使って何かを作り出し、その上、経済的なことにも決して疎くない、というターシャの勤勉さは、ニューイングランド人気質といわれている美徳にも通じるようだ。
私も生きていることに感謝して、丁寧に豊かな時間を持ちたいと感じている。
|